雨夜の品定め〜男の本音と「いい女」

※この記事は2020年4月13日にnoteで公開したものです。

 

www.hanmoto.com

桐壺の次は藤壺とのエピソードになるのかと思いきや、今回は雰囲気ががらっと変わり、大人になった光君こと源氏と頭中将の会話から物語が始まる。光君も頭中将もそれぞれ正妻がいるのだが、二人とも面倒がって妻の家に寄り付かない。他の女性を訪ねることも多いが、それ以外は男二人でいつも一緒にいるらしい。こいつら付き合っているのでは?

いつものように光君の部屋に遊びに来た頭中将(付き合ってるよね?)が、光君に宛てられたラブレターを勝手に引っ張り出して読もうとするシーン。私はここで頭中将推しを後悔した。他人同士の手紙、特にラブレターを勝手に見ようとする人、私苦手です。こういう人絶対に手紙を仲間内で回し読みして笑いものにして手紙の送り主の立場をなくすんですよ。自分のちょっとした慰めのためにナチュラルに権力を振るう奴、無理です。
予想通り頭中将は光君に宛てられた手紙を読んで、送り主を当てる遊びを始める。予想が当たっていても外れていても、光君はなんとかごまかして正解を教えないのだけど、こういう行動を取れるのもモテる要因のひとつなんだろう。
光君も頭中将にもらった手紙を見せろとせがむが、頭中将はこのように答える。

見る価値のあるものはほとんどないよ(p35)
この頃ようやく、完璧な女などめったにいないのだとわかってきたよ。(p35)

女遊びに飽き始めたがすでに中毒になっていてやめられない遊び人がよく言いそうな台詞である。やがて左馬頭と藤式部丞が部屋へやってきて、物語は平安男子4人による女性談義に発展する。嫌な予感しかしない。著者も「まったく歯に衣着せぬもの言いで、耳をふさぎたくなる話も多いのだけれど……。」(p37)と注意書きをする。マジか。

左馬頭はこう述べる。

人並みで、これなら合格点だという女はなかなか少ない。(中略)何がなんでもこの人ひとりと決めて一生連れ添いたいものだから、どうせならこちらで教えたり手を掛けたりする面倒もなく、申し分ない人と結婚できないかとハナから選り好みをする。となると、なかなか決まらないのも当然ですな。(p39)
妻の仕事としていちばんだいじなのはなんですか、夫の世話でしょう。これも風情に凝りすぎていて、ちょっとしたことをするのに変に洒落たことをするとなると困りものですな。かといって家事一点張りで、額髪を耳に挟んで色気もへったくれもない世話女房で、ひたすら所帯じみていくのも、どうでしょうねえ。(p40)
つまりですよ、すべてなんでも穏やかに、恨むようなことがあっても、私は知っていますのよという程度に匂わせて、大ごとにせずちくりと釘を刺すくらいなら、夫の愛情も深まるというものでしょう。夫の浮気もたいがいの場合、妻の出方でおさまることが多いんです。あんまり放ったらかしで好き放題させておくのも、夫からすれば気楽で、いい妻だと思いもするけれど、自然と軽い女だと思うようになりますな。(p43)

いい女になかなか巡り合えない、やたらおしゃれで家庭的でないのは息が詰まるが家庭的になりすぎても色気がなくてそそられない、かまわれすぎるのは嫌だがほっとかれるのも嫌……。

タワーマンションの高層階でワイングラス片手になされていても何の違和感もない話である。まるで数年前のVERYに掲載されていたハイスペ男性たちの「妻だけED座談会」や、女遊びしすぎて理想が高止まりしたアラフォーハイスぺ男性の記事を思い出す。多少の浮気や悪事は男のたしなみくらいに思っているから悪びれない。責任転嫁の論理を作って自分の良心をごまかすのが異様にうまい。自分が変わる発想は皆無で、大抵の問題は女が変わるか女を変えるかすれば解決すると思っている。ハイスぺ男性がまともな自省をしないでいられる社会が1000年も続いている日本……自己批判せよ!(と言った左翼もセクシズムとミソジニーから脱せなかったが)

続いて左馬頭は自分の実体験を話し始める。下役の頃に通っていた女は特に美人ではなく気が強かったが、男のために努力する性格で、次第に世話を焼いて化粧をし、やさしさとたしなみを身につけるようになった。最初はもの足りなくて他の女を訪ね歩いていた左馬頭も、彼女をいじらしく思うようになる。しかし、彼女の嫉妬深さだけはどうにも直らない。そこで左馬頭は、「何か懲りるくらいの目に遭わせて脅かせば、嫉妬もましになるだろう」(p46)と考えて冷たく接してみるが、やはり口喧嘩に発展してしまう。

こんなに我を張るなら、たとえ宿縁のある夫婦だとしてももう二度と逢うまい。これきりで別れるつもりなら、そんなめちゃくちゃな邪推でもすればいい。もしこの先も長く連れ添うつもりなら、少しくらいおもしろくないことがあっても我慢して、いい加減あきらめて、その嫉妬深さをなんとかしてくれ。そうすれば今まで以上にだいじに思うよ。私だってこの先人並みに出世して一人前になったら、ほかの女が肩を並べることもないような扱いをするから(p46)

女はこう言う。

これまで、あなたがどこから見てもみすぼらしくて、うだつの上がらないのを我慢して、でもいずれは人並みに出世もするんだろうと、待つことにかけては苦になりませんから、それがいつになろうと焦ったりはしませんでした。不満もありませんでした。けれどあなたの薄情な心にたえて、私だけを愛してくれる日がいつか来るのだろうかと、この先ずっと、あてもないのに待ち続けて月日を送るのはつらくてたまらないでしょう。今が、お互い別れるのにいい機会ですね(p47)

この台詞に左馬頭はかっとなって暴言を吐く。女も頭に来て、彼の指にかみついてしまった。かみつきたくもなるだろう、こんな立場に置かれたら。好きな相手から大したルックスじゃないと判じられて、彼好みの女性に変わるよう迫られ続けて、最後に残った嫉妬という感情すらなくせと言われたら、もう彼女自身ではなくなってしまう。映画『かぐや姫の物語』の「高貴な姫君は、人間ではないのね」という台詞を思い出す。そのくせ左馬頭の方は今まで通り浮気はするし自己都合を女に押しつけるばかりで、女の気持ちを慮ろうとしない。そりゃ暴発するよ。

その場では別れたものの、左馬頭は本気で別れようとは思っていない。しばらく経った雪の夜に女の家を訪ねると、本人は不在だったが、左馬頭を迎える準備が調えられているようだった。嫌われたわけではないと思った左馬頭は、よりを戻そうと何度か手紙を送る。女はその都度返事を送り、「今のままではとても我慢できません。心を入れ替えて、腰を落ち着けてくださる気になったら、お目に掛かりましょう」(p)と言う。左馬頭は、嫌われていないのならもう少し懲らしめてやろうと考えて、女の言葉には真剣に答えない。そうこうしているうちに、女は亡くなってしまう。ディスコミュニケーション!!!

女は心を通わせたかったのだ。お互いの言葉をちゃんと聞いて答える関係が欲しかったのだ。それを左馬頭はまるごと無視して、女を自分の思い通りにしようと駆け引きをしかけたのだ。死んでからしみじみ悲しんでも、自己陶酔にしか感じられない。結局彼女が死んだ後は同時期に通っていた女のところに行くし。まあ結局大納言に寝取られているので、ちょっと溜飲は下がるんだけど。

もうひとつ、非常に興味深いのが、藤式部丞の話だ。式部丞は大学寮の学生だったとき、師事していた博士の娘といい仲になっていた。彼女はずば抜けて学問ができ、漢文にも政治的見識にも通じていた。式部丞は彼女に多くのことを教わり、またよく世話をしてもらう。しかし、こう考える。

でもですよ、心を許した妻として頼りにできるかと考えると、学問のない私のような男は、そのうち彼女の前でみっともないことをしでかすでしょうから、とても太刀打ちできないと思ってしまうのです。(p56)

出た!! 相対的に有能な女性が言われがちなやつ!! 式部丞のプライド脆すぎ!!

左馬頭はこうコメントする。

三史五経といった本格的な学問を徹底的にきわめるなんて、ずいぶんかわいげがないものでしょうが、女だからといって世間の公事私事にまったく疎くて、何も知らないでいいなんてことはないでしょう。わざわざ学んだり習ったりせずとも、多少とも才知ある女ならば、聞いて覚え、見て覚え、ということも自然と増えるはずです。でもですよ、そのあげくがやたら漢字を書いて、女同士でやりとりする手紙にまで半分以上もびっしり漢文を書いてみせるなんて、ああ嫌だ嫌だ、この人が女らしかったらなあと、そりゃ残念に思いますよ。書いた本人はそう思ってはいないのでしょうが、そんな手紙は読むのだってぎくしゃくとして、やっぱり不自然なんですよ。(p58)
そうするのにふさわしい時かそうでないか、見境がつかないなら気取ったり風流ぶったりしないほうが無難ってものですよ。自分がすっかり知り尽くしているようなことでも知らないふりをして、言いたいことがあっても、そのうちのひとつ二つは言わないでおいたほうがいいんです(p59)

賢すぎてもバカすぎても嫌って、有名大学の男子学生が女子大の女子学生に言いそうなことですね。私の母校(中堅私大)も、就活市場で賢すぎずバカすぎないと判じられてブラック気味の企業に吸収されていく学生多数だよ。賢すぎずバカすぎない、「不自然でなく」「普通に話せる」ことを他者に求める人間は、基本的に信用ならない。「自分の思い通りに動く都合の良い人間が手元にほしい」の言い換えでしかないからだ。しかもこれを言う奴大体立場が上。つまり立場の弱い人間に「こっちの思い通りに動かないとどうなるかわからないぞ」と脅しているのだ。支配のにおい! その点でもやっぱり左馬頭はつまらない男である。女が死んでるのにまったく反省ができていない。

これは私の邪推なのだが、博士の娘のくだりは著者の紫式部自身の経験が元になっているんじゃなかろうか。紫式部は漢文の教養を見込まれて中宮の女房兼家庭教師の職を得た人間だし、その辺の博士なんか目じゃないくらい三史五経に精通していたはずだ。しかし、学者の父に「お前が男だったらよかったのに」とその卓越した知性を嘆かれたという有名なエピソードもある。親にこんなことを言われたら、紫式部自身の人格形成に何らかの影響を及ぼしていそうだし、実際に自然に振る舞うだけで恋の相手が引け目を感じてしまうこともあったのかもしれない。それに、藤式部丞って紫式部の出身家庭と同じ「式部」って身分なんじゃないか? まあこの辺のことは、たくさん研究がされてるんだろうけど。

さて、ここまで平安ハイスぺ男子を散々ディスってきたが、同時に奇妙な感動を覚えている。平安時代の「男の本音」が時をかけ、1000年後に生きる私を腹立たせているのだ。どうしようもない奴らだと思いながらも、この男たちがどんなことをしでかすのかわくわくしている。これは紫式部の見事な活写のなせる技なのだろう。『源氏物語』が傑作文学である所以が少しわかった気がする。ハイスペ男子の自省のなさが1000年後にも引き継がれているのはいただけないが……。