留まれない

昨年の秋頃から『ナポリの物語』というイタリアの小説に脳をジャックされている。ナポリの貧困地域に生まれた少女・レヌーとリラの50年に及ぶ友情の物語で、全4巻あるのだが、1巻を読み始めたら止まらなくなって貪るように読んだ。読了してからも『ナポリの物語』の世界が頭の中に巣食っていて、テレビドラマや小説の中にその面影を探してしまう。どうしようもないので、2021年は『ナポリの物語』をより理解するためにイタリア近代史とイタリア文学を学ぶ年にしようと考えていたのだが、よりにもよって元日に村井良大を見つけてしまった。あけまして村井良大。もう頭はぐちゃぐちゃである。とうとう脳内であらぬ妄想が繰り広げてしまった。もし『ナポリの物語』が日本で舞台化されることになったら村井良大はどの役がいいかという妄想である。推し小説と推し俳優の悪魔合体。そもそもイタリア本国でも舞台化されていないのに。己の業にまみれた妄想であるが、少し書き残しておきたい。以下『ナポリの物語』のネタバレになるので注意。

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村井良大は「普通の男性」の役が似合う俳優だが、残念ながら『ナポリの物語』に「普通の男性」はほとんどいない。出てくる男性は基本的に暴力を辞さないヤバい奴らである。では、唯一まともに見えるエンツォに村井良大アサインするのはどうだろう。野菜の行商をする村井良大。不倫に行き詰まったリラを助ける村井良大。プログラミングの勉強をする村井良大。なかなか良い。エンツォは自分の容姿にあまり自信のない男性なのだが、村井良大なら地味な雰囲気をうまく演じられるのではないだろうか。

しかし、どうせならもっと振り切れた村井良大も見たい。チンピラの村井良大が見たい。ナポリの地区を支配するマフィアの手先・マルチェッロを演じる村井良大が見たい。弟・ミケーレとともにイケてる車を乗り回しては女を連れ込む村井良大。リラに強引に求婚する村井良大。リラの作った靴を履いて結婚式に登場する村井良大。最後は弟と一緒に暗殺される村井良大……。マルチェッロは地区一番のイケメンという設定なので、村井良大には己の美貌を存分に生かして演じてほしい。そしてその場合のミケーレ役は鈴木拡樹が良い。美形で凶悪な鈴木拡樹を見たい。リラにナイフを突き付けられる鈴木拡樹。鉄パイプで人を殴る鈴木拡樹。やたらとリラに執着する鈴木拡樹。婚約者がいる前で「俺の子供は何人いるかわからない」と言い放つ鈴木拡樹。見たい。

村井良大にはステファノもいいかもしれない。最初は話のわかる賢い商売人だと思っていたのに、結婚した途端初夜から妻を殴りつける村井良大。リラを束縛しながらも陰でちゃっかり愛人を作っていた村井良大。最後は商売の不振と愛人たちの養育費で首が回らなくなった村井良大。ステファノは地区の男性としてはごく普通のタイプである。この地区では日常と暴力がシームレスにつながっているのが普通なのだ。そういう男性を演じる村井良大も見てみたい。

しかし、ここまで妄想を書き散らしておいて言うことではないかもしれないが、日本で『ナポリの物語』を舞台化するのは難しいだろう。『ナポリの物語』は、近代ヨーロッパが築き上げてきた思想的蓄積を、近代化から排除されてきたナポリの共同体や女性たちから照射した物語である。近代ヨーロッパの諸制度を輸入したものの元々のアジア的土壌にうまく根付かせることができなかった日本には、あの物語の核心を舞台上に現前させられる人間はそういないだろう。やはりHBOドラマ版『ナポリの物語』を日本で配信するのが先だ。HBOさん、日本でもお願いします……。

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『ローズのジレンマ』が観たい。今度村井良大が出演する舞台だ。過去出演作のトレーラー映像を見ていたら、村井良大の演技があまりにも魅力的で、実際に観に行きたくて仕方なくなってしまったのだ。それに演劇公演はなかなかDVD化されない。やはり舞台は生ものなのだ。しかも『ローズのジレンマ』は主演は大地真央、共演に別所哲也、神田沙也加という豪華な布陣である。登場人物が少ないから、人の顔を判別するのが苦手な私でも出演者を混同しなくて済みそうだ。観たい。でも新型コロナウイルスが怖い。劇場は感染対策をしているだろうが、家からの道程が不安である。ウイルスを媒介したくない。どうしよう。村井良大のインタビューとチケットサイトを往復してはため息をつく。

演出と翻訳が小山ゆうなという女性なのが気になった。何だかテレビドラマのスタッフロールで塚原あゆ子を見つけたような気分である。検索してみたらインタビュー記事がいくつかヒットした。

spice.eplus.jp

恥ずかしながらヴェデキントという劇作家をこのとき初めて知ったのだが、ファム・ファタルを描いた物語として上演されてきた『LULU』を、現代的かつ女性の内面にフォーカスした翻案をして演出したらしい。ファム・ファタルサークルクラッシャーは彼女だけでなく取り囲む男性たちにも原因があると、私は常々思っているので、「ルルはある意味社会の犠牲者」と話す小山さんはなんだか信用できる。最後のヴェデキントやブレヒトについての話も興味深い。

natalie.mu

こちらは2019年の東京芸術祭でドイツの演出家オスターマイアーが手がけた『暴力の歴史』の上演に際してのインタビュー。古典を現代的に演出して社会問題と地続きにしようと試みるオスターマイアーの話や、ライブ映像を使った演出の理由、日本にもファンが多いドイツの演劇シーンなど、面白い話が盛り沢山だったのだが、なかでも特に興味深かったのがドイツの劇場に公金が投入されているからこそ自由だという話だ。

それと、ドイツに社会問題を扱った演劇作品が多いのは、ドイツ人がそういうのが好きだからなんじゃないかってよく言われるんですけど、たぶんそういうことじゃなくて、国の助成金が政治問題とか社会問題を扱っていないと下りないんですよ。それははっきり条件として書かれている。ただ、行政は作品に一切口出しをせず、作品に口を出すのは市民の仕事。ハンブルクの劇場で演劇を観たとき、お客さんがブーイングした回があって。休憩中も、偶然そこに集まった市民同士で「この作品に自分たちの税金が投じられているのはどうなのか」と議論していました。でも作品がよければ「すごくよかった」と反応しますし。

政治問題や社会問題を扱っていることが国の助成金の受給条件として明記されているけれど、内容に一切口出しをしない国、ドイツ。おそらく、表現の自由を国家が法的に保護すべきものだと考えられていることと関係があるのだろう。日本で同じことをしようとしたら、行政の中立性の放棄だと市民から批判が出そうである。もしかしたら行政側が無理やり上演中止にしてしまうかもしれない。このようなドイツの芸術支援は、政府と市民、または市民同士の間に批判を批判として受け取るような信頼関係が存在しているからこそ可能なのだろう。だから芸術を社会に不可欠なものだというコンセンサスが明確になり、市民から集められた税金を投入する作品の判断は市民に委ねられる。市民社会って本来こういうものであるはずだ。政府の文化支援のあり方には色々な議論があるだろうが、やはりドイツは成熟した社会に見える。

 もう一度『ローズのジレンマ』のサイトを見ると、ここにも小山ゆうなのインタビューがあった(なぜ早く気が付かなかったんだろう)。『ローズのジレンマ』はニール・サイモンテネシー・ウィリアムズ作品を意識して書いたものだという話をしている。

www.tohostage.com

演劇について無知な私でもテネシー・ウィリアムズの名前は知っていて、『欲望という名の電車』は自分でチケットを買って観に行ったことがある。ケイト・ブランシェット主演の『ブルー・ジャスミン』という映画が好きで、その原案になっていると聞いて興味があったのだ。どちらも裕福だった女性が状況変化に耐えられず、精神を病んでいく物語である。特に『欲望という名の電車』のヒロイン・ブランチは南部の大農園主の娘なのだが、彼女を通して見る当時のアメリカの社会構造は非常に興味深かった。テネシー・ウィリアムズ自身も南部出身で、彼もブランチ同様裕福な暮らしからの転落を経験しているらしい。一方、彼とほぼ同時代を生きたニール・サイモンはニューヨーク出身のユダヤ人である。ニール・サイモンの目にテネシー・ウィリアムズはどのように映っていたのだろうか。

 ここで改めて村井良大のインタビューを読んでみると、興味深い一言を発見した。

ovo.kyodo.co.jp

村井良大演じるクランシーについて)ボロボロの汚い格好をして、スニーカーで、いかにも「アメリカの田舎から来ました」という見た目の青年です。

アメリカの田舎とは、南部のことなのだろうか。先の小山ゆうなのインタビューから想像するに、ローズとウォルシュのモデルはフィッツジェラルド夫妻のようだ。夫妻に巻き込まれるクランシーは、さしずめパラレルなテネシー・ウィリアムズといったところだろうか。構造的にとらえすぎかもしれないが。

色々気になりすぎてwikipediaを調べまくっていると、テネシー・ウィリアムズ三島由紀夫と仲が良く、何度か来日していたことを初めて知った。確かに気が合いそうな二人である。何ていうかこう、作風的に(どちらもそんなに作品を知らないけど)。

村井良大のおかげで脳みそが地球を一周してしまった。『ローズのジレンマ』のチケット、旅費代わりに買います。当日までに体調を整えなければ。