若紫~日本のルーツ?

※この記事は2020年4月26日にnoteで公開したものです。

 

 

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若紫の章は、高校の古典でよく扱われる文章だ。

「雀の子を犬君が逃がしてしまったの。籠を伏せてちゃんと入れておいたのに」(p144)

という有名な若紫の初登場シーンはもちろんだが、

命婦は脱ぎ捨てられた直衣を搔き集め、呆然と悲しみに暮れている光君に渡し、無言で帰りを促す。(p163)

という藤壺との事後のシーンまでなぜか記憶に残っている。当時の古典の先生が「もう辛抱たまらなくなってばばっと服を脱いじゃったのよ!ちゃんと文法を勉強してこの性急さを読み取れるようになってね!」みたいなことを言っていた気がする。なぜ高校生がこんな惚れた腫れたの物語を学校教育で読んでいたのだろうかとつい思ってしまうが、それはこの物語文学こそが己の文化社会のルーツだからに他ならない。それが無責任で打たれ弱い男が女を抱きまくる物語であろうとも直視する必要がある。現代の高い地位にいる男性たちの無責任さを考える一助にもなるだろう、たぶん。

改めて若紫の章を通読してみると、最初に後の明石の君を思わせる女性の噂話があることに驚く。明石の君は紫の上と並ぶ源氏物語の二大ヒロインだが、初登場も同じだったのか。

ここで光君のお供たちが「明石なんて田舎」(p143)と言っているが、現在の明石は開けた街である。駅前に城跡があり、坂道をのぼった先に市立博物館があり、人出が多い。しかし、東京育ちの私は光源氏の須磨流しを読んで、須磨はものすごい僻地だと思っており、須磨で出会う明石の君の「明石」と標準時子午線の通る明石市に関連があるとは露ほども想像できなかった。だから、成人して神戸旅行に行ったときは非常に驚いた。何しろ三ノ宮から山陽本線で少し行ったところに須磨という駅があり、さらに数駅先に明石という駅があるのだ。僻地どころかアクセスが良すぎる。しかも須磨は政令指定都市・神戸市の一区だったし、明石の君の「明石」は標準時子午線の明石市だった。田舎どころか都会である。一体千年間でどれだけ開発されたのだろう。関西の公共投資、恐るべし。いや、私が住んでいる東京の隅っこだって、平安時代は風流を解さない東夷の住むド田舎だったんだろうけど……。

若紫の章は、光源氏藤壺そっくりの幼い若紫をどうにかして手元に置こうとする話である。光君の斜め上すぎる意図に、若紫の祖母や乳母は混乱して「姫はまだ幼く分別もないから渡せない」「源氏の君の意図がわからない」と言う。一方、光君の言はこうだ。

「いい加減などではない、私の思いの深さをどうかご理解ください」(p153)
「これほど幾度もくり返し打ち明けている私の気持ちを、どうして素直に受け取ってくれないのですか。」(p170)

実質的には何も言っていないので会話が噛み合っていないが、情感だけで押そうとするこの感じ、「頑張っているんだから文句言うな」「真剣な気持ちだから付き合って」に通じるところがある。前者は批判を封じ、後者は拒否権を封じる。どちらも支配と隷従の関係をつくる言葉だ。要求の落としどころをつけるための会話の端緒をひらく言葉ではない。そしてこの類の言葉は、現在も家庭内から政治空間まであらゆる場所で飛び交い、当然のように受容されている。光君のこの台詞は、現在の批判に弱く同調圧力が強い日本社会と、糸のようなものでつながっているのかもしれない。その糸が太いのか細いのかどこかに絡まっているのかわからないけど。