夕顔~いろいろな身分の女たち

※この記事は2020年4月20日にnoteで公開したものです。

 

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夕顔はこういう話である。光君は乳母の家の隣の、夕顔が咲く粗末な家に住む女と恋仲になる。素直でひたむきな女に光君はかつてなく夢中だ。しかし女はいつまでも身元を明かさない。光君は女がいつか突然姿を消してしまうのではないかと不安になり、自分の別荘に彼女を連れて行く。しかし女はそこで突然死してしまう。うろたえた光君は、お供の惟光の協力を得ながら、内密のうちに葬儀を済ませる。そして、女が以前頭中将と恋仲になり子供をもうけたものの失踪した女であったことを、女房であった右近から明かされたのであった。

印象的だったのは次の文章だ。

これまで、こんな身分の女(筆者註:空蟬を指す)のことまでは考えることもなかったのに、先立っての雨夜の品定め以来、いろいろな階級の女を知りたいと思うようになった光君は、ますます興味を抱くようになったのだろう。(p98)

この引用部分、光君はホモソーシャルなコミュニティに影響を受けて多様な女と寝てみたくなったという意味であるが、それ以上に、これからは気の多い光君を通して多様な女たちの個々の心情と事情を描いていくという著者の宣言のようにも読める。『源氏物語』の真の主人公は女たちであり、光君は彼女たちを見るスコープ装置なのではないかと思わせる描写が早くも登場している。スコープにしてはキャラが立っているが。

また、この夕顔の女は、雨夜の品定めで頭中将が「頼りないおっとりした女」として語っていた女のことである。彼女の行く末が明かされるという意味で、この章はまず伏線を回収するためのエピソードと言える。

夕顔の女が住んでいるのは粗末な小さい家である。しかし女や女房たちは教養があるらしく、香を焚きしめた扇を差し出したり、気の利いた歌を美しい字で書きつけたりする。光君はこう思う。

かつて話に出た、頭中将が相手にもしなかった下の下の者の家ながら、意外にもその奥にはうつくしい人がいるかもしれないと思うと、光君の気持ちは弾んでくるのだった。(p97)

おそらくこれは雨夜の品定めの左馬頭の発言に対応している。

ところで、人が住んでいるとも思えない、葎や蓬の生い茂る荒れた家に、意外なことに見目麗しい姫がひっそりと暮らしている、なんてことがあったら、それこそ珍しいという表現がふさわしいですよ。(中略)たしなみがあるように見えたら、実際はそれがたいしたことのない才芸だとしても興味を持ってしまいますよ。まったく欠点のない女を選ぶというなら話にもなりませんが、これはこれで、なかなか捨てがたいとは思いませんか(p38)

また、光君はこのとき六条の君のもとにも通っているが、身分の高い彼女の家はこんな感じだ。

木立や植え込みなど、格段に趣深く、ゆったりとした優雅な暮らしぶりがうかがえる。光君を迎える女君は近寄りがたいほどに気品に満ち、光君は先ほどの夕顔の家などすっかり忘れてしまう。(p96)

夕顔の家とは対照的である。

六条の君は思い詰める性分で、後々生霊になるキャラクターである。おっとり素直な夕顔の女とは対照的であるが、夕顔の女も光君のいないところでは思い悩んでおり、男に悩まされるのは共通しているようにも思える。

また、この章では空蟬との関係にも区切りがつけられる。空蟬は夫とともに任国の伊予へ引っ越すことになり、光君は密かに餞別と手紙、そしてこっそり持ち帰った彼女の小袿を送る。空蟬はそれについて返歌を送り、光君との関係を終わらせた。空蟬の夫は受領、つまり中流貴族であり、この章には上流・中流下流それぞれの女が登場しているということになる。雨夜の品定めでは男たちが階級ごとに女を批評していたが、夕顔の章はそれぞれの階層にいる女たちの実際を描いた章ともいえそうだ。