やってられない

※この記事は2020年4月14日にnoteで公開したものです。

 

4/13(月)

安倍首相が星野源『うちで踊ろう』に便乗した動画を投稿した。画面の左半分には弾き語りの星野源、右半分は家でくつろぐ安倍晋三、緊急事態宣言の焼き直しみたいなコメント。当然この投稿は批判を浴びた。総理大臣が家でくつろいでいる場合か、ライブやコンサートの開催を補償なしで自粛させといてアーティストの活動を搾取するとは何事か、今まで投稿されたコラボ動画の価値を著しく毀損している、等々。これらの批判はもっともで、私もヘドバンしながら同意する。菅官房長官「いろんな見方があるが、過去最高の35万以上の『いいね』など多くの反響をいただいた」という発言など、反響の中身の精査が雑すぎて辟易してしまう。

あの動画を見て印象に残ったのは、安倍総理の背景にある高価そうなソファやランプやドアだ。それらすべてがさも当たり前のように配置されている。政治家というのは激務のはずなのに、部屋が荒れている様子はない(整ったところだけ映している可能性もあるけど)。

私は総理の家具を見て、去年の台風15号のことを思い出した。あの台風は千葉県に甚大な被害をもたらした。私は隣の東京在住だが、当時家の窓ガラスは暴風が叩きつけられて、とんでもない轟音を立てていた。そのうち窓ガラスが割れてしまうんじゃないか、そしたらこの家も吹き飛んでしまうんじゃないかと考え始めたらどうにも眠れない。結局スマホアプリで台風の進路や近所の川の水位を確認したり、避難ルートをシュミレーションしたりを繰り返して、一睡もしないまま夜を明かした。私は無事だったが、エアコンが壊れていた。

台風15号が去った後、テレビのニュースが報道したのはまだ全容がわからない千葉の惨状と、内閣改造だった。信じられなかった。すぐに被害状況を確認して支援策を打つべきなのに、その仕事をする省庁のトップを今変えるなんてありえない。

西日本豪雨の当日は、安倍総理含む自民党幹部たちは飲み会をしていて初動が遅れ、大変な批判を受けた。対応すべきとんでもない災害が起こっているのに飲み会をする政治家たちの神経が信じられなかったが、一方でもしかしてこの人たちは一都三県で災害に遭わないと動けない程度の当事者意識しか持ち合わせていない連中なのだろうかとも考えた。しかしまさに台風15号は千葉県を中心に一都三県へ被害をもたらしたのだ。なのに内閣改造である。昨夜東京であの暴風雨の音を聞かなかったのだろうか。あの轟音を聞いていたら、不要不急の人事異動なんてやっていられないはずだ。

しかし今回のコラボ動画で、あのときの疑念がすべて腑に落ちた。安倍総理の家はきっと私の建売住宅とは比べ物にならないほど大きく頑丈で、立地が良く、台風15号の暴風が叩きつけてもこの世の終わりみたいな音はしないのだ。そういう家だから、立派なドアがついていて、間取りを気にせず高価そうな家具を置けて、火災保険の要綱にビクビクせずに額縁を飾れるのだ。これが格差である。もちろん、金持ちのエスタブリッシュメントであること自体は悪いことではない。問題は、この世襲議員の総理大臣が、自分の暮らしぶりを飛び抜けて豊かだと自覚しないまま、無邪気に全世界へ公開したということだ。まるでこれが普通の真面目な日本人がするべき生活とでも言うように。己の立場を社会的に相対化する視点を持たない人間に、政治家としての資質などあるわけがない。あらゆる階層への想像力も知識もない連中が寄り集まってできた今の政権だから、どんなに大きい災害が列島を襲い住民が苦しんでも何食わぬ顔で飲み会も組閣もできるし、支援が遅れても平気な顔で議会の椅子に座っていられるのだ。

昔、大学の授業でこんな文章を読んだ。著者は学習院に通っている庄屋の息子で、関東大震災で甚大な被害を受けた。汚れた格好でもなんとか登校すると、クラスメイトたちは綺麗な格好で、著者のことをくすくす笑っている。庄屋の著者はあまり地盤の良くない場所に住んでいるから被害が大きく、一方クラスメイトたちは華族で地盤の良い場所に住んでいるから被害が少なかったのだ。自然災害は必ずしも人間に対して平等に接するわけではない。より貧しく弱い者の被害ほど大きくなりやすい。そういう弱肉強食の自然の論理に対抗するために、人間は社会をつくったのだ。

今の政権は社会なんてないふりをして、弱肉強食を掲げながら、社会の中でできた果実を盗んでかじりながらくつろいでいる。そんな状況で大人しくしていられるわけがない。奇しくも今日、台風15号の被害地域に再び大雨が降って避難勧告が出た。コロナ禍での避難所の整備方針も、この政権はどうやら丸投げのようである。そちらがそのつもりならばこちらも、うちにいながら「やってられない」と何度も声を上げる。