推したくない、ハマりたくない

実在の推しができることが怖い。理由は二つある。

一つ目は推しの言動にひっかかってしまったときが怖いからだ。ミソジニーホモフォビア、トランスフォビアはもちろん、「恋愛や結婚をするのが当たり前」や「日本の〇〇は素晴らしい」のような些細だけど一瞬息が止まるような発言を推しがしてしまう可能性は大いにある。日本社会には小さな差別が常識として蔓延していて、よほど意識的でない限りそれに気づけない。批判すればいいのかもしれないが、批判的コミュニケーションに慣れている人は少ないから非難と受け取られかねない。もし推しがそんな発言をしたらショックのあまり沈黙し、しばらく経った後に沈黙するしかできなかった自分を責めて、推しを推したことを後悔するのだろう。怖い。

二つ目は、キラキラした人を見るのがつらいからだ。推す対象になる人たちは大抵並々ならぬ努力をしている。翻って私は何も努力していない。何を頑張ればいいのかすらわからない。人生なんてこんなもんとつぶやきながらも、彼らのストイックな自己鍛錬に裏付けされたパフォーマンスを観るとどうしても自分を恥じてしまう。私がぱっとしない人生を送っているのは自業自得なんだと見せつけられた気分になるのだ。いくらネオリベラリズムと自己責任論に毒されているだけだと自己批判してみたところで、自分が努力を放棄していたという事実は変わらない。ただただつらい。

わざわざこんなことを書いているのは、推しができそうだからである。

 

俳優Mを知ったのはつい先日のことだ。

ここ数ヶ月の土曜日は『戦国炒飯TV』を観るのが日課だった。若手俳優が日本史上の人物に扮してコントをする番組だ。特に「ミュージックトゥナイト」という歴史上の人物がユニットを組んでパフォーマンスするコーナーが好きで、毎週とても楽しみにしていた。ユニットとその持ち歌も実在のアーティストをうまくパロディにしていてとても面白いし、俳優たちは皆演技も歌もダンスもびっくりするほどうまい。見ごたえ充分だった。

地上波放送が終わって寂しくなり、ふと前身番組『戦国鍋TV』はどんな感じだったのだろうと検索したのがいけなかった。10年前の「ミュージックトゥナイト」はとんでもないユニットにあふれていた。『戦国炒飯TV』が距離を取りながら俳優の芸達者ぶりを楽しめるのに対して、『戦国鍋TV』は全く距離を取れないまま麻酔を打たれて沼に引きずり込まれていく感覚だ。その『戦国鍋TV』のユニットの多くに参加してあらゆる役を演じ分けていたのが、俳優Mである。

Mはまずダンスが非常に上手い。実際のアイドルでもなかなか踊れないような高難度のダンスを軽々と踊りこなしてしまう。

Mは歌も上手い。とても聞きやすい声で、音程も声量も安定している。

そしてMはなんといっても演技が上手い。番組の演出も良いのだろうが、とにかく表情の作り込みが上手く、役が違うとまるで別人になる。Mは端正だがあまり特徴のない顔立ちで、それが演技の幅を広げているように思える。

Mは「信長と蘭丸」というユニットでその能力を遺憾なく発揮していた。俳優二人が恋愛関係を演じるのだが、相手にぞっこんな演技をするのがものすごく上手い。しばらくBLジャンルから離れていたのに、一気に惹きつけられてしまった。本当に恋しているような顔をするのだ。

見たい。もっとMの演技が見たい。でもハマりたくない。ここまで魅力的なパフォーマンスができるのは、彼がストイックに鍛錬を積み重ねているからだ。この10年でMは舞台俳優としてのキャリアを着実に積み上げてきたけど、私は何もしていない。ハマったところでつらくなるだけだ。でもMを見たい。矛盾がつらい。つらすぎて『戦国炒飯TV』の鎌倉新仏教の開祖たちによるラップユニット「僧スクリーム」の曲を度々聞くようになった。私も念仏唱えて往生したい。ヒップホップは良い。自分にとって新しい音楽だから、心を落ち着けてくれる。それに比べて昔のアイドルソングは自分の記憶がべっとり貼りついていて、どうしようもなく心がかきむしられてしまう。 つらい。

「僧スクリーム」と「信長と蘭丸」の往復運動があまりにも止まらないので、思い切って『戦国鍋』のBlu-rayBOXとCDを購入することにした。Blu-rayは9枚もあるから、見ているうちに熱もおさまるだろう。つらくなったら、またブログを書こうと思う。