【感想メモ】映画『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』

※この記事は2020年7月31日にnoteで公開したものです。

 

再び感染が拡大して映画館に行きづらくなってしまった。映画館自体は換気がしっかりされていそうだけれど、そこに行きつくまでの電車やバスはいつもなかなかの乗車率である。なので今回はずっと観そびれていた映画をAmazonPrimeでレンタルした。500円は割高だけど、繰り返し見られるし悪くはない気がする。

『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』のあらすじはこうである。才能はあるが融通が利かず無職になったジャーナリストのフレッド(セス・ローゲン)は、初恋の相手で今は国務長官を務める次期大統領候補シャーロット(シャーリーズ・セロン)と再会する。シャーロットは自分の若い頃をよく知るフレッドをスピーチライターに抜擢し、外遊に同行させる。フレッドが原稿のためにインタビューをするうちに、お互い惹かれ合い結ばれるが、大統領候補のシャーロットとの恋愛には様々な障害が待ち受けていて……。つまり男女の役割が逆転したラブコメである。最後は障害をはねのけて"ゴールイン"する。ポップコーン片手に気軽に観られる楽しい映画だ。

一方でこの映画にはあらゆる時事ネタや差別についての描写が散りばめられている。最初にフレッドが潜入取材するのはネオナチ集団だし、パーカー・ウェンブリーというロジャー・エイルズみたいなメディア王が出てくるし、カナダ首相のエリートぶりはトルドー首相とあまりにそっくりである。大統領候補のシャーロットは常にミソジニー的視線に晒されており、感情の見せ方に細心の注意を払っている。また、FOXニュースっぽい紅一点の女性キャスターは、生理ネタで揶揄されたことに怒るのだが、これは『スキャンダル』シャーリーズ・セロンが演じたメーガン・ケリーを彷彿とさせる。すべての描写をいくらでも深堀りできる映画だが、これらの社会批判的視線はラブコメのお気楽さを全く邪魔しない。その点においては『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のような映画である。

私はラブコメにおける恋愛表現のお約束には「『男らしさ』『女らしさ』を補強するもの」と「お互いにとって唯一無二の存在がありのままで愛し合うこと」の二種類があると思っているのだが(どちらにも含まれるものもあるが)、男女役割を逆転させた本作は確実に後者のタイプである。シャーロットは「自分より強くて忙しい女に勃つ男はいない」と語るが、フレッドはそういう賢く努力家な彼女が好きだ。もっさりした外見のフレッドは華やかで清廉潔白な大統領候補者の恋愛相手としては不足に見えるが、シャーロットは忌憚のない鋭い意見を聞かせてくれる彼が好きである。一見不釣り合いに見える相手を好きになってしまう展開は、まさしくラブコメのお約束である。またシャーロットのキャリアは、ウェンブリーが入手したフレッドのオナニー動画に脅かされるが、「好きな相手で妄想してオナニーすること」も、変化球ではあるが確実に後者のお約束の範疇である。フレッドのオナニーはシャーロットを愛するが故の行為であり、それを不正アクセスして盗撮しネットにばらまくウェンブリーの方がロマンチックラブの敵なのだ。ウェンブリーが運営するメディアではゲイや女性を差別するような発言が多々あるようだが、これらも「唯一無二の存在のありのまま」を否定するラブコメ上の悪役イメージを補強している。本作はラブコメのお約束を政治的文脈に乗せているようにも見えて面白い。

しかし、ラストには疑問が残る。フレッドは大統領になったシャーロットと結婚しファースト・ミスターになる。しかし彼は気骨と誇りのある記者で、原稿への信念のためにスピーチ原稿を書き直すのを渋り、イメージ戦略のために自分のクレジットの入った記事を消すことを渋った人間である。シャーロットのサポートだけで満足する人間にはとても思えない。シャドウワークにはクレジットが入らないのだ。歴史的に有名な男性たちの妻はいくら能力があっても搾取と抑圧に晒されてきたのであり、フレッドが彼女たちと同じような道を辿らないか心配である。いくら男女役割が逆転しても、権力格差から来る抑圧から逃れたことにはならない。どうやらホワイトハウスにはJFK暗殺の犯人が解明できるほどの資料があるようだから、それらを活用して歴代のファースト・レディたちの評伝を書いてほしい。もちろんフレッド・フレスキーのクレジットで。